人を見つめる 墨の旅


りすん麗 制作モロモロ
by moutheau
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カテゴリ:メモ( 4 )

比較

比較は劣等感を、優越感をもたらす。比較しなければ、すべての劣等感、すべての優越感は消える。そのときこそ、あなたは在る。ただそこに在る。小さな潅木、あるいは大きく高い木——そんなことは関係ない。あなたはあなた自身だ。あなたは必要とされている。草の葉は、もっとも大きな星と同じように必要とされている。その草の葉がなければ、神は在るべき自分より少なくなってしまう。
郭公(かっこう) のこの声は、どのようなブッダとも同じくらい必要とされているのだ。もしこの郭公が消えたら、世界はより少なくなる、豊かさがより少なくなってしまう。
ちょっとまわりを見てみるがいい。すべてが必要とされていて、あらゆるものが互いにぴったり合っている。それは有機的なひとつのまとまりだ。高いものは誰もいないし、低いものも誰もいない。優れているものは誰もいないし、劣っているものも誰もいない。誰もが比較できないほどユニークだ。




竹はオークよりも美しいとか、オークは竹よりも貴重だとか、いったい誰があなたに教えたのでしょう? オークはこの竹のように自分もなかが空っぽな幹がほしいと願っている——あなたはそう思いますか? その一方で竹は、オークの方が大きいし、秋になったら葉の色が変わるので、嫉妬するでしょうか? 二本の木が自分たちを比べ合っているという考え方そのものがばかげていますが、私たち人間にはこの習性を断ち切るのがとてもむずかしいようです。現実を直視しましょう。あなたより美しい人、才能のある人、強い人、頭のいい人、あるいは明らかに幸せそうな人はつねにいます。そして逆に、こうしたすべての意味であなたに及ばない人もつねにいます。自分とは誰なのかを見いだす道は、他人と自分を比較することで得られるのではなく、わかっている最良の方法でみずからの潜在能力を自分が実現させているかどうか、それを見ることによって得られます。
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by moutheau | 2007-08-06 08:06 | メモ

タロット1

中心が定まったままでいることです。他人の意見や、あなたをあちらこちらへと押しやる他人の企てに操られるのを自分に許してはいけません。他人のレベルに落ちてはいけません。


 かつて仏陀の時代に、もっとも有名な美しい売春婦が仏教の僧乞食に恋をしたことがあった……。
 彼女は彼に、仏教の僧たちが旅をやめる雨期の四ヶ月間、自分の家に泊まって欲しいと頼んだ。その僧は言った。「私はマスターに聞かなければならない。もし許してもらえたら、来ることにしよう」
 ほかの僧たちは非常に嫉妬した。その若者が仏陀のところに言って願い出ると、多くの者たちがそれを聞いていた。彼らはみな立ち上がって言った。「よくないことだ。その女がお前の足に触れるのを許したことですらおくないことだったのだ。『女性に触れてはいけない。女性に触れさせてはいけない』と仏陀は言ったではないか。お前は規則を破った……しかもいま、お前はその女と四ヶ月もの間いっしょに泊まることを願いでているのだぞ!」
 だが仏陀は言った。「私は、あなた方に、女性に触れてはいけない、女性に触れられてはいけないと言った。それはあなた方がまだ中心に定まっていないからだ。この男にはその規則はもう当てはまらない。私は彼をずっと見守ってきた――彼はもう群衆の一部ではない」 さあ、これはあんまりだった! こんなことは以前にはけっして一度もなされたことがなかった。弟子たちはみな怒った。そして何カ月もの間、アムラパリの家でなにが起こっているかという噂が大袈裟に行き渡った――あの僧はもう僧ではない、彼は堕落した、と。
 四ヶ月たって、アムラパリとともにその僧が帰って来ると、仏陀は彼らを見て言った。「女よ、私になにか言うことがあるのか?」
 彼女は言った。「私はあなたに入信の儀式イニシエーションをおこなっていただくために来ました。私はあなたの弟子を悩まそうとしました――でも、失敗でした。これは私の初めての負けです。私は男とならいつも成功してきました。でも、彼を悩ますことはできなかったのです、ほんの少しといえども。私のなかにも、どうしたらこの中心に定まっていることを達成できるのかという大きな欲望が湧いてきました。
 「彼は私といっしょに暮らしました。私は彼の前で踊りました。彼の前で歌いました。あらゆる方法で彼を誘おうとしました。でも、彼はいつも彼自身のままでした。私は彼を転向させようとしました――でも、彼が私を転向させたのです、ひとことも話さずに。彼が私をここに連れて来たのではありません。私は自分で来ました。私は初めて尊厳とはなにかを知ったのです。私はそのアートを学びたいのです」。彼女は仏陀の弟子になった。
 彼は常に自分の足で歩く……彼をあちらこちらと押しやることはできない。彼は完全に彼自身のままだ。非常に中心が定まって、自分の存在のなかにしっかりと根を下ろしている。人がトゥリヤ、四番目の境地を知ったら、心の散漫はない。そうなってこそ、人はどこでも生きることができる。
 自分の生の環境を変えようとしてはいけない。自分の態度を変えようと試みるがいい。内側の状態を変えるために外の状況を使いなさい。状況を変えるのはたいした変化ではない――あなたは自分自身と世界をだましている。ほんとうの宗教は意識の状態を変えることで成り立っている。 より高いものを探し求めなさい。ひとたびあなたが、そのより高いものが自分のエネルギーに届いたことを知ったら、より低いものはおのずと枯れ始める。それがほんとうの宗教だ。
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by moutheau | 2007-08-06 02:43 | メモ

memo

あなた自身の惨めさ、喜び、否定的な部分、肯定的な部分、地獄、あるいは天国といった自分で創りだしたものの責任を自らすすんで取ること。この責任を理解して受け容れたら、ものごとは変わり始めます。新しい可能性に向かって開いていましょう。


 有名な逸話がある。
 あるとき、ある人が旅をしていて、偶然楽園に入った。さて、インドの楽園の概念では、願いをかなえてくれる木がある。ただその下に坐って、なにかを望むと、すぐにそれがかなえられる――欲望と成就の間に隙間はない。
 その人は疲れていたので、この願いをかなえてくれる木の下で寝込んでしまった。目が覚めると、彼はとても腹が減っていたので、こう言った。「とてもおなかがすいている。どこかで食べるものが手に入るといいのだが」。すると突然、どこからともなく食べ物が現れた――まさに空中に浮いていた。すばらしい食べ物だ。
 彼はとても腹が減っていたので、それがどこから来たのか、あまり気にかけなかった――腹が減っていると、あなたは哲学的ではなくなる。彼はすぐに食べ始めた。それに食べ物は非常においしかた……。そして飢えが去ってしまうと、彼はまわりを見回した。
 もう、彼は満足していた。彼のなかで別の考えが起きてきた。「なにか飲むものが手に入りさえすれば……」。いまでも楽園にはどのような禁止項目もない。すぐに上等なワインが現れた。 木陰の、楽園の涼しい風のなかで、くつろいでワインを飲みながら、彼は不思議な気がしてきた。「いったいどうしたのだろう? どうなっているのだろう? 私は夢を見ているのだろうか、それとも私に悪戯をしている幽霊がこのあたりにいるのだろうか?」
 すると幽霊が現れた。しかも彼らは凶暴で、恐ろしく、吐き気を催させた。彼は震えだした。そして、ある考えが彼のなかに起きてきた。「もう、私はまちがいなく殺される……」
 そして、彼は殺された。
 この逸話は古くからある逸話だ。途方もなく意義深い。あなたのマインドは望みをかなえてくれる木だ――あなたがなにを考えようとも、いずれそれは実現する。ときには、自分がそれを望んだことを完全に忘れてしまうくらいギャップがある。だから、あなたはその源につながることができない。だが、深く見守ったら、あなたは自分の思考のすべてが自分と自分の生を創りだしていることに気づくだろう。
 それらがあなたの地獄を創る。それらがあなたの天国を創る。それらがあなたの惨めさを創る。それらがあなたの喜びを創る。それらが否定的なものを創る。それらが肯定的なものを創る……。
 ここにいるあらゆる人が魔術師だ。そしてあらゆる人が自分のまわりに魔法の世界を紡ぎ出している……そうして捕まってしまう。蜘蛛そのものが自分の巣で捕らえられている。
 あなたを虐待している人は、あなたをおいてほかにいない。そして、一度このことが理解されたら、ものごとは変わり始める。そうなるとあなたは、その向きを変えることができる。自分の地獄を天国に変えることができる。それは、ただちがった視野からそれを描くという問題にすぎない……。全責任はあなたにある。
 そして新しい可能性が起きてくる。あなたは世界を創るのをやめることができるのだ! 天国と地獄を創る必要はない、創る必要はまったくない。創造主はくつろいで、退くことができる。 そして、マインドの引退が、瞑想だ。
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by moutheau | 2007-08-06 01:42 | メモ

最近どきっとした言葉

 ほかの人の愛と祈り邪魔してはいけません。自分は愛し方や祈り方を知っているという考えを落としましょう。人がどのように愛し、どのように祈っていても、その人にとってはそれは完全なのだと、ほかの人びとをただ尊敬することです。


 モーゼはあるとき祈っている人に出会った。だが、その人がばかげた祈りを唱えていたので、モーゼは立ち止まった。しかも、ばかげているだけでなく、その祈りは神を侮辱もしていた! その人はこう言っていた。「神さま、もっと近くに寄らせてください。そうしていただければ、あなたの身体が汚れているときには洗ってさしあげましょう、それをお約束します。もし、しらみがいたら取ってさしあげましょう。それに、私は腕のいい靴屋なのです。あなたに完璧な靴をお作りしましょう。神さま、あなたを世話してくれる人は誰もいないのでしょう……私があなたの世話をいたします! もしあなたが病気になられたら、あなたの看病をして、薬をおもちしましょう。それに、私はすばらしい料理人でもあるのです!」
 モーゼは叫んだ。「やめなさい! そんなナンセンスはやめなさい! いったいなにを言っている? 神の身体にしらみがいるだって? しかも、彼の服がよごれているからお前がそれを洗うだって? しかも、お前が彼の料理人になる? いったいどこでこの祈りを習ったのだ?」 その男は言った。「どこでも習いませんでした。私はとても貧しくて、しかも教育を受けていない人間です。それに、私は自分が祈り方を知らないのをよく知っています。自分で編みだしたのです……こうしたことが私の知っていることなのですから。しらみは私をとても悩ませます。ですから、神をも悩ますにちがいありません。それに、私が得る食事はときにはあまり上等なものではなく、胃が痛みます。神もときどき苦しむことがあるにちがいありません。これは私自身の体験です。それが祈りになりました。でも、もしあなたが正しい祈りをご存知なら、どうか教えてください」
 そこでモーゼは正しい祈りを彼に教えた。その男はモーゼにひざまづき、彼に感謝した。その目には深い感謝の涙が流れていた。彼は去り、モーゼはとても幸せだった。善い行いをしたと思った。このことを神がどう思ったか知ろうとして、彼は空を見上げた。
 ところが、神は非常に怒っていた! 神は言った。「私は、人びとをわたしのもとにもっと近づけるためにお前をそこに送ったのだ。だが、お前はいま、私の最も素晴らしい恋人たちのひとりを放り出した。よいか、お前が彼に教えたこの『正しい祈り方』は、まるで祈りではない――祈りは法とはなんのかかわりもないからだ。それは愛だ。愛そのものが法だ。ほかの法は必要ない」
 そして、愛とともに恩恵が起こる。そして、愛とともに真理が――。
 覚えておきなさい。もしあなたに真理を理解することができたら、真理は解放する。そして、それよりほかに解放はない。
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by moutheau | 2007-04-24 02:01 | メモ

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